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2018.07.08[日] 掲載
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問屋街活性化・ソフト委員会 企業訪問・見学会
開催日時: 平成30年6月21日[木](14時20分に大宮駅集合)
訪問先: 日本電鍍工業株式会社 代表取締役 伊藤麻美氏
目 的: 父である前社長の死後、倒産寸前で引き継ぎ、
3年で建て直した一人娘の伊藤麻美社長の経験が問屋街に活かせないか
訪問して話を聞いた
参加者: 奉仕会: 宮入正英、鳥山博司、細谷昌宏、永野克子、鳥山貴弘、齋藤高章
(敬称略) 連盟: 野島喜一郎、小澤正彦、山﨑幸雄、古川綱、関屋政裕
コーディネーター:永井竜之介(高千穂大学助教)
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◇はじめに
日本電鍍工業(にほんでんとこうぎょう)は1958年の創業時から時計メッキの高度な技術(職人の手作業による技術的に難しい「厚付けメッキ」が強み)を持つ。
苦しい経営状態の中、既存の設備でできることを模索し、景気に左右されず、需要があるものは何かを考えた結果、「医療」、「健康」、「美容」に辿り着いた。
多品種変量ロットを得意とし、2007年に中小企業庁「元気なモノ作り中小企業300社」に選ばれた。特にメッキの種類で音色が変わると言われる楽器の分野では「楽器のメッキ=日本電鍍工業」と信頼されている。
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◇伊藤社長の話
- インターナショナルスクールに通い、幼いころから自立心を培った。理解をして自分の考えを持ちそれを活かす。誰かに依存して生きるのは間違い。欲しいものは自分で稼いで買う。
- 大学を出てFMラジオのDJの世界に入るがマスコミ界の男尊女卑、日本は実力より若さが求められることを実感し、生涯続けられる職をと、宝石の鑑定士、選別士の資格を得るために30歳で渡米、1年後に資格を取得。
- 現地での就職も決まっていた矢先、日本電鍍工業が倒産するかもしれないとの連絡を受け、一時帰国のつもりで帰国(1999年9月・31歳)。
- 23歳のとき父をがんで亡くす。後任社長により会社は一気に傾き、200名いた社員は48名にまで減り、一方、無借金経営から13億円の借り入れを作っていた。
- 税理士からは死に体、会社が復活する可能性は1%あるかないかと言われるも、ベースは残っている、時計以外で展開できれば復活すると信じた。
- 失うものは何もない、命さえ残ればいいと10億の負債を個人保証し、人生何度か勝負をかける時がある、と会社を継ぐことを決め2000年3月に代表取締役に就任した。
- 当初は社員から無視、鼻で笑う者もいた。
- 結果として3年で黒字に持って行けた要因として、
(1)自分が変わる。毎朝あいさつしつづけて会話を持った。聞き役にもなった。
(2)業績をオープン・共有し、黒字に向けて何をすべきか目的意識を持ってもらった。
(3)リストラはしない(何を基準にリストラか難しい)。
(4)時計以外で攻めてみる。当時では珍しい自社HPを自分たちで作った。
- 当時ITブームが来ていて携帯電話、パソコンなど売れていたが投資ができない、手作業では参入できない、コストが合わないなどの理由から製品へのメッキは見送った。
- メッキのブルーオーシャン(新規開拓市場)が何かわからない。自分の身の回りで探してみた結果、「医療」、「健康」、「美容」で行くと宣言。口に出すことで約束を果たす。
- 社員の反対はあったが、自社の強みがわかっていないと営業がかけられないので知らないうちにSWOT分析して自信があった。試行錯誤の末に体内に入るカテーテルを先導する部分のメッキに成功し、これが今に生きている。
- ド素人の経営者なので何がタブーかわからない。やってみてダメなら変えればいい。
- 自分が成長しなければ組織も成長しない。いつ倒産するかわからないという危機感はいつも持ちながらも、学ぶことを忘れてはいけないと思っている。いろいろな県内の企業が集まる勉強会になるべく参加するようにした。
- 今年で創業60年。100年企業、その先を目指している。それにはいい人材の確保と環境が必要。国内での生産にもこだわる。日本の企業が日本の雇用を守らないといけない。
- 設備投資をするにあたり、業者選定、値段交渉を30代に任せた。多くのベテランがいて助けてくれたが、途中でネガティブじーじ(俺たちの時代はこうだった、俺がいなかったらこの会社は……
- 自分に経営者の資質があったかわからない。会社を守りたいという思いがあったから、そのために何をすべきかがついてきた。
- 今、主力は20代、30代。目的意識が強い人でないとリーダーになれない。
- なるべく私が決めるのではなく、社員たちの声を引き上げ方向性を決め、行動してみる。
- 「やらない」、「できない」は会社ではタブー。ため息もついてはいけない。質問はただするのではなく、考えがあっての質問(私はこう思うがどうですか?など)に限る。
- 自分がいなくなっても会社が存続、成長することが1番重要。未来のために何ができるか?
→人を育てること。
- メッキは3Kではあるが、携帯電話、デジカメ、衛星、飛行機などハイテク分野を支えているのもメッキ。誇りを持ちながらやっていきたい。
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◇質疑応答
Q:ネガティブじーじにはどうやって辞めてもらったのか?
A:人によって違うが社労士と相談しながら雇止め、1年契約などにした。
Q:社員採用にあたって重視したことは何か?
A:1番見るところはやる気。叱られたこと、怒られたことがあるかも聞く(親にも怒られたことがない人は×)。字を書かせる(丁寧か、誤字脱字はないか・・・仕事に対しての姿勢を見る)。挨拶ができない人もダメ。内定が出たからといってそこに行く必要なない。安易に選ぶと本人にとっても会社にとっても不幸。
◇質疑応答後、工場を見学
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* 上記レポートのPDF版はこちらです
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文責:(協)東京問屋連盟:関屋政裕
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